南紀ダイビング(田辺)ミサチ、天神崎:ボート、ナビ①/3

このエントリーを Google ブックマーク に追加
LinkedIn にシェア
LINEで送る

今日の素敵な海仲間!

楽しい時間を有り難う\(^o^)/

梅林の花も咲き始めました!!!

★お客様の声★

海は穏やかで、陸も全然寒くない( ゚Д゚)!
梅の花も咲き始めています(*‘∀‘)
*
「みなべ梅林開花情報(ほりぐち農園さん)」によると、
”今年は暖冬のため例年より開花が早いかも!”
お花見しながらのダイビングも、
近くなってきました♪

【今日は何の日?1月25日】

天皇が坂上田村麻呂に蝦夷征伐を命令(796)
~~豆知識コーナー~~
坂上田村麻呂は、清水寺を建てた人と伝えられています。
Wikipediaより
*
清水寺にある「アテルイ・モレ石碑」は、
坂上田村麻呂の蝦夷征伐にゆかりある石碑です。
*
アテルイは、京都の朝廷から蝦夷征伐に派遣された坂上田村麻呂などと戦いを繰り広げた、蝦夷の軍事的なリーダーでした。
アテルイたちは地形を巧みに利用し、遠征軍を分断して撃退します。朝廷がしばらく遠征軍を送れなくなるほどの大勝利でした。
しかし、坂上田村麻呂の遠征軍との戦いで、アテルイたちは敗退を重ね、アテルイは副将格のモレと500人の兵士とともに投降したとされます。
田村麻呂と共に京都に送られたアテルイとモレは、田村麻呂の恩赦の願い出にも関わらず、河内国で処刑されたと伝わります。この縁から、アテルイとモレの慰霊碑が清水寺に建つことになったのです。
引用:WEB歴史街道より

1月25日?

南紀ダイビングからの

大神社(芳養王子跡)
おおじんじゃ(はやおうじあと)

芳養王子社跡

熊野三山参詣街道に祭祀された九十九王子社の一社、当芳養王子社は建仁元年(1201)十月十二日、後鳥羽上皇が熊野参詣の途次、当社に奉幣の使いを派遣したこと『御幸記』に見え由緒は古い。爾後、下芳養荘の産土神として当地方の敬信を永く集めていたことも紀伊続風土記に記されている。

明治四年の神社合祀により現在の大神社として合祀され今日に到っている。田辺市内の五王子社趾の一つとして有名な遺跡である。

昭和四十六年

和歌山県教育委員会
田辺市教育委員会
芳養大神社

▼Instagramはコチラ▼




シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする